マスティック村
ヒオス島はきれいなビーチがあり、穏やかな気候で有名なエーゲ海に浮かぶ大きな島です。しかし、とりわけ、そのマスティックにより、実に古代からヒオス島の名前は世界中に知られてきました。
マスティックが、マスティホホリア(マスティックの村の意味)と呼ばれるヒオス島南部の中世からの住居にその名前を伝えているのがその理由です。
この住居の形成は、この地の人々が数世紀にわたり経験したありとあらゆる被害や自然災害にもかかわらずビザンチン時代にまで遡ります。
それらは今もなお、文化遺産の記念建造物として継承されています。
マスティック栽培が体系化されたのはジェノバ人による統治時代(1346-1566)で、ヒオスの南部になんと22のマスティック村が創られました。
それらの村の位置は海からは見えない内陸で、中世の時代にエーゲ海を苦しめた略奪者から村民を護るために要塞のように設計されています。
すべてのマスティホホリアのうち、1881年の壊滅的な地震により大きなダメージを受けなかったもっとも保存状態がよい村はピルギ、メスタ、オリンピです。そして比較的損害が少なかったのはヴェッサ、カラモティ、エラタです。